今朝、息子てんちゃんが妹を無理やり起こそうとしていたので、「まだ寝てるんだから、ゆっくり寝せてあげてよ」と注意をしました。すると、口をぎゅっと突き出して俯いて一言。
「ぼく、しんじゃうよ」
余裕がない時だったらカンカンになって「そんなこと言っちゃダメ!」と怒るところですが、死ぬっていう意味わかってるのかな?と思って、
「死んだらパパにもママにもこんちゃんにも会えなくなるよ?おもちゃでも遊べないし、ケーキやドーナツも食べられなくなるよ?」と言ってみました。
それでも、「ぼく、しんじゃうから」と言ってむっつりしてるので、
「今日は鬼のパン(鬼の形のパン)あるよ」
と言ったら、「食べる!」と言ってさっさと起き上がってきました。
簡単に死ぬって言って欲しくないんだけど、難しいな・・・。
もう一言、ここに「てんちゃんに会えなくなったらママ悲しいな」と言うべきだったのかな?
それとも「死ぬのはとっても痛いんだよ。そして死んだら死んだで、火で焼かれてしまうよ」というのも頭に浮かんだけど、脅かすのはあまり好きじゃないし・・・。
いずれも真実には違いないんですが。
でも思い返してみれば、中学生の時とか結構嫌なことがあると、すぐに「死にたいなー」と思ってたっけ。
死にたい、と言うより、今の辛い状況から逃れたい、と言うのが本当の気持ちなんだよね。
死ぬ以外に逃れるまたは解決する方法がいくらでもあると感じられるようになったのは、大人になってからかもしれない。
子どものうちは知識もお金もなくて、今いる環境が全てになりがちだから・・・。
だから、せっかく産まれてきても、気をつけていないと子どもは結構すぐ死んでしまう。
出生率を上げても、元気に大人になる子どもたちがどれくらいいるのか、そっちだって重要だと思うんだよなあ・・・。毎日のように、子どもの虐待死とかが報道されているのだから、それを解決するのも大切なことじゃない?寝不足でトイレもごはんも満足にできない状態なんて、ワンオペだと本当によくある話で、他の助けもなくそんな状態がずっと続いたら、誰だっておかしくなるんだよ。親がしんどい時は、子どもだってしんどくなるんだ。
リスキリングで炎上してたけど、学びの支援というなら、産休育休に結びつけないでほしかったなあ・・・。
子育て支援については、もっと他にやることがあると思う。
子どもたちとその親が健康で、教育をしっかり受けられる安全な社会を望みます。
子どもが死にたいって思わないような。